本内容は、インフロニアグループの能登震災復興への取り組みを取材した社内報「ITSUTSU-BOSHI(五つ星) 能登震災復興特集(2025年8月発行)」に収録した内容の完全版になります。
不幸にして発生してしまった能登半島での大震災。しかしその一方で、復旧工事のため全国から建設会社が技術を携えて結集したことで各社の強みが顕在化し、建設・土木業界に希望をもたらしているという。「“変わりつつある土木”を見せていきたい」と語る国土交通省 北陸地方整備局 能登復興事務所の杉本敦さんに、業界に寄せる期待や、この度の地震と豪雨による災害で得た教訓などについて伺った。
―― 地震発生時、杉本事務所長はどちらにいらっしゃいましたか?
杉本敦さん(以下、杉本) 東京です。当時は本省道路局の国道技術課に所属していて、道路メンテナンス企画室という部署で、課長補佐として全国の直轄災害復旧事業を担当していました。元日はちょうど当番の日だったので、発災直後に本省に駆けつけて情報収集に当たりました。甚大な被害で多額の予算が必要ということで、その日からずっと、財務省との調整に当たったり、国土交通省内の関係者などに災害の状況を説明したりしていました。
―― その後、2月16日に能登復興事務所に着任されたということですね。
杉本 はい。それまで本省で、財務省と地震対応の折衝や被災地の降雪・降雨の対応もしていましたので、現場視察ができないまま着任することになりました。
―― 当初は16人という少人数で対応されていたと聞いて、驚きました。
杉本 そうなんです。それも併任がほとんどで、専任は私を入れて3人でした。ですが、組織づくりはものすごく早かったです。従来、こうした復興事務所は半年くらいかけてつくられてきました。ある程度、人員など体制を整えてから始動するということで。でも今回は、年度の途中にありながらも1カ月ほどでスタートしたので、特例中の特例だと思います。“とりあえず走りながら、拡充しながらやっていこう”という感じですね。2024年の4月には現在と同じくらいの人数に増員していただき、事業を拡充しながら体制を整えていきました。
―― 実際に被災した現場をまわってみて、いかがでしたか?
杉本 映像や写真で見るより酷い状況だと感じましたが、応急復旧された道路を見て、現場のみなさんの技術に驚きました。「短期間でここまでできるものなのか! 土木の人たちって、すごい」と。みなさん、1月1日から現場に入っていたそうです。崩れている様子や地形を見て、素早く道路をつなげるためにどうするか、知恵を絞られたことが伝わってきました。
―― どういった部分にすごさを感じられたのでしょうか。
杉本 いろいろありますが、たとえば普通では考えられない所に道路を通していたことです。輪島市の観光名所「白米千枚田(しろよねせんまいだ)」付近の道路が崩れたのですが、元に戻すにはすごく時間がかかると。そこを、隆起した海岸の上に土を盛って、応急復旧道路をつくっていました。あそこに安定した地盤を見出して道路をつくった判断力と技術は、本当にすごいと思います。
―― 現場で住民から見聞きした話など、印象深い出来事を教えてください。
杉本
真っ先に思い出されるのは、珠洲市の大谷(おおたに)地区で聞いた話です。9月の奥能登豪雨による土砂崩れで、大谷浄水場が完全に埋まってしまって。いつまで断水が続くかわからないなか、地域のみなさんに疲労感と苛立ちが見えました。地元説明会で「水が使えるようになんとかしてほしい」と懇願されたのですが、なすすべもなく困っていました。
そんなとき、そのエリアの復旧に当たっていた前田建設工業の方々が、工事で使っているパイプやポンプを活用して、井戸から水を引いてくれたのです。復旧工事で多忙ななか、快く対応してくださって。これにより、トイレや洗濯などの生活用水を得ることができ、大谷地区の方々はとても感謝していました。みなさんに笑顔が戻り、地域がパッと明るくなった出来事でした。
災害時には自衛隊や警察の存在がクローズアップされがちですが、いちばん最初に現場に駆けつけるのは、土木の人たちです。さらに、土木の人たちはただ道路をつくるだけでなく、そこで生活しながら、地域住民とかかわりながら作業をするので、地域に元気を与える存在にもなるのだと、改めて感じました。
現場で作業する方と地域住民との関係が良好だと、我々としてもありがたいんです。というのは、能登半島には、もともと国が管理している道路が少ないので、“よそ者”として入っていくところから関係を築いていかなくてはなりません。「対応が遅い」などとお叱りを受けることもあります。ですが、現場の方々のおかげで我々も好印象をもってもらえるので、交渉しやすくなります。
ただ心苦しいのは、地域住民から「本復旧工事も同じ建設会社にお願いしてほしい」と言われたとき、「次は違う会社になるかもしれません……」と言わなくてはならないことです。どの会社が工事を担当するかは、一般競争入札で決まるので。
―― 復旧・復興を進めるうえで、杉本事務所長が大切にしていることを教えてください。
杉本 地域の方々と対話を重ねて進めることですね。命にかかわるところはスピードが大事なので、最速で取り組まなくてはなりませんが、本復旧は少しだけ時間をいただけると思うので。この能登半島には、国が工事にかかわった道路はほとんどなくて、将来的にも国が管理することになるかわからない。そんななかで、国がいきなり入ってきて、急いで工事をして去っていったら、地域の方々はその道路に愛着をもてないと思うんです。意見交換を重ねてつくった道路なら、結果的に地域の方々の希望に添えなかったとしても、愛着をもっていただけるのではないかと思っています。
―― 道路は、ただつなげばいいということではないのですね。
杉本
安全面だけを考えたら、一番良いのはトンネルを掘って道路を通すことだと思います。珠洲から輪島までトンネルを掘れるかと言ったら、いまある技術で掘れるんです。でも、そうしてしまったら、能登の美しい景色を楽しめなくなりますから。観光面に考慮することも非常に大事ですよね。
壊れた山に沿った海岸沿いに道路をつくったとしたら、観光で来た人からすると、そこは観光ルートになります。その景観を震災遺構として捉えることができるので。でも、地元の方々はそこを毎日見て生活することになるんです。辛いことを思い出させてしまうかもしれません。そういったこともあれこれ考えながら、取り組んでいます。
―― この震災で新たに導入されたこと、変わった制度などはありますか?
杉本
道路法が一部改正されました。これまで道路管理者の許可が必要だった道路上にあるがれきの撤去などを、国が自治体の許可なしで実施できるようになったので、手続きの時間が短縮されて、迅速に復旧作業に取り掛かれるようになりました。
「半島振興法」も一部改正されました。もともとこの法律は、過疎や高齢化などの課題に直面している半島地域を活性化させるために制定されたものですが、能登半島地震の教訓から、三方を海に囲まれた地理的特性を踏まえた「半島防災」が明確に位置づけられました。それから今回の震災は、能登半島特有の地形により迂回路がなく、さらに交通網が寸断されたことで、陸路での物資などの搬入が困難でした。孤立した地域がたくさんあり、東日本大震災のときよりも救援活動が難航しました。そんななか、海上自衛隊がホバークラフト(※)で、海側から支援物資や工事に使う重機を運んでくれました。これにより、要となる国道249号の復旧工事の期間が大幅に短縮されました。
工事の現場においては、日本ではまだ珍しい特殊重機を1台、導入しています。国土交通省の国土技術政策総合研究所(国総研)で所有している「スパイダー」です。4つに分かれた脚をクモのように自在に動かすことができて、急斜面でも作業できます。大きな岩を乗り越えたり土砂をかき分けたり、倒木を切断して運搬することもできるんです。重機だけでなく、作業の仕方も変わってきています。被災地の復旧作業に限らず、通常の工事現場でも無人化というか、遠隔操作が進んでいますよね。この能登でも、約300㎞ 離れた千葉県にいるオペレーターが、重機を操作しています。
―― 建設業界が抱える課題解決にもつながる技術がたくさんありそうですね。
杉本
そうなんです。この能登に、各建設会社のノウハウや知見が集まっています。驚くことばっかりですよ。各社、面白いものを“隠し持っている”んだなと(笑)。それぞれに強みがあって。でも、現場の方たちは「いや、当たり前なんですけど」って言うんです。その当たり前が、私たちにとっては“はじめまして”なので。そうした各社の優れた技術などをミックスして、作業効率を向上させたり働きやすい環境を整えたりしていけたらと考えているところです。
それから、先ほどお話しした遠隔で重機を操作する試みにも可能性を感じています。外での作業は暑かったり寒かったりで大変ですよね。でも遠隔操作だと、エアコンが効いている快適な部屋で作業できます。究極を言えば、自宅でもできるんです。家族にしてみれば、“引きこもりのお父さん”だと思っていたら、実は全国各地の重機を操っていたということもあるかもしれません(笑)。もっと言えば、「いま幼稚園に子どもを預けてきたので、2時間ほど作業できます」「じゃあ、北海道の現場に入ってもらえますか?」といったことも普通になるかもしれません。ちょっとしたバイト感覚でできるというか。すごくスキルの高い人は、ロボットを遠隔操作して手術する名医のように、分単位で予約が入っていたりして。
―― そんな時代も、そう遠くはなさそうですね。
杉本
重機を動かす資格をもっていれば、誰でもできます。先日、若い職員に遠隔操作を体験してもらったところ、若いので吸収が早くてとても上手でした。ただ、いま私が懸念しているのは、これに慣れてしまった若者は、現場に出なくなるのではないかということなんです(笑)。とはいえ、遠隔操作が当たり前になったら人手不足も解消できそうですし、この業界とは縁がなかった人たちも入ってきやすくなると思います。
人もモノも不足するなかで生産性向上が求められている昨今、この能登に集まった土木の知恵と新技術を全国に広めていくことが、我々のミッションだと考えています。建設・土木業界の3K(きつい・汚い・危険)というイメージはもう古くて、だいぶ変わってきているのを実感します。この機会に、“変わりつつある土木”を見せていきたいですね。
―― そうした広報活動の手段として、SNSやYouTubeでの発信に力を入れられていますが、杉本事務所長が指揮をとられているのでしょうか?
杉本 いえ、いえ。私はまったくと言っていいほどかかわっていなくて、若い広報担当者たちに自由に発信してもらっています。先日、この事務所に政務官が来たとき、「あなたは何かあったときに責任だけ取ってあげなさい、チェックしたり口出ししたりするのは禁止」と言われました(笑)。彼らには、これからも伸び伸びと発信してもらいたいと思っています。